せどり観

拙著の中にも書いていますが、せどりで生活が救われ、人生が開けたので、私自身、せどりというモノには非常に感謝しています。

しかし、私もずっとつきまとっていたのは後ろめたさです。

結局、新古書店のシステム的なエラーに乗じたり、古本屋の知識のなさにつけこんでいるだけなんだよなぁとは常に感じていました。

だから、古書組合に入ったり、実店舗を開店させたりしましたが、やはり、眼の前に1万円で売れるとわかっているモノが500円で売っていたら、黙って買ってしまいます。

儲かりますから。

でも、やっぱり大きな声では言いにくいところがあります。

友達の店でそういった値札がついていたら、黙って買うことはしません。注意するか、それを前提で価格交渉をします。

みんな、ちょっとでも儲けたいこともわかっていますし。

じゃあ、友達じゃない店ならばいいのか──というのも、おかしな気がします。

ブックオフという一企業のシステム的な欠陥ともいえるところに依存しているというのも、男の仕事として、どうなのとも思っていました。

どうしてもこぼしちゃう液をなめに行っている昆虫みたいな気が自分自身していた時もあります。

実際、せどりちゃんやアツミなんとかが、せどりという言葉をネットで使うまでは、バッシングを受けないか恐くて「せどり」という言葉を使えませんでした。

結局、私はそこら辺をクリアすることなく、辞めてしまいましたが、かぴぱら堂(屋号は呼び捨てにすることにしました)はうまく消化しているようにも思えます。

今更かもしれないが、そこら辺を語ってもらいたいですね。

エーブックさんからこのようなコメントをいただいたので、せどり観その他について書いてみようと思います。


まず、せどりという行為に後ろめたさを感じたことはありません。買取とか業者市での仕入れと同列で、仕入れ方法のひとつととらえています。
相手の隙につけこんで稼いでいる面は少なからずあるとおもいますが、こちらから相手を罠にはめてそうするのではいけないと思いますが、そうでないのですからその点も気にしていません。私の場合は仕入れ先で迷惑がられた経験はいまのところありません(私が鈍感で気がつかないだけかもしれません。そうだった場合はすみません)が、大量に買ったことで感謝されたことは何回もありますので、そういうところではお互いに利益になったといえます。ブックオフのシステムの欠陥に依存しているというよりも、ブックオフのような大経営では非効率になる部分を拾い上げて、当方の利益にしていると考えています。


ブックオフとアマゾンのシステムに依存しているのは事実ですが、そのことで後ろめたく感じたこともありません。それどころか、開き直って、家族や友人知人、買取先、せどらー仲間などあらゆるつてに依存しまくっています。自分に才覚があったから実績が上げられたのではなく、巡り合わせがよかったために何とかここまでこられたわけですから。そういう意味では「自分の腕ひとつで喰う」というのは幻想だと考えています。


そんなわけで、今後も大いにせどりを展開していくつもりですが、仕入れの割合に占めるせどり依存度は下げていく予定です。
せどり自体は方法論を進化させていけば今後もやっていけると思いますが、ひとりで仕入れられる冊数には限度があります。私は多い日で1日500冊くらい仕入れますが、毎回必ずそれだけの成果を上げることは不可能なので、安全ラインは1日300冊になります。そうなると、月3000冊くらいが限界になるのですが、それでは当店の今後の展開には数が足らないので、買取その他の方法を試行錯誤していき、今年中には新しい仕入れスタイルを確立できればと考えています。ちなみに昨年の仕入れ内訳は、冊数ベースで、せどり約90%、買取その他が約10%でした。