古本屋一代

ある古本屋の生涯―谷中・鶉屋書店と私』(青木正美著・日本古書通信社)の冒頭に、下記の文章が掲載されています。

「古本屋一代ときめ初市へ」
大森の住人、山王書房・関口銀杏子の句である。葉書に墨で、ただそれだけを書き送って来た山王さんへの返信を、私はとうとう書けなかった。私自身、やりきれなさが先にたった。
文学書一筋に、特異な書店として名をなしている彼が、有望なご子息に恵まれながら、すでに諦観している。
本への惚れ込み方が、一人の古本屋の生き甲斐であり、自負でもある。
「俺の生きている間は、俺の好きなようにやらしてくれ。俺じゃあなくては出来ない商売なんだ」……衰えた体力、ずれた感覚、鈍りきった記憶力。それでもまだ頑固にすがりついて、店先に背をまるめながら鼻水をすすりあげる。そんな時が私たちにも来るかも知れない。
それが他人の眼にはどう映ろうと、そんな日々がかけがえもない老残の幸せになるかもしれない。昭和46年3月 飯田淳次(「東京古書組合・東部支部報」への投稿文より

伝説の詩歌古書店と云われている鶉屋書店の店主の一文です。飯田氏はこの10年後、まだ働き盛りのうちに病に倒れ、ここで書いたような老残の幸せをかみしめることはできませんでした。ここで登場する山王書房も伝説の近代文学古書店として名を残していますが、ここの店主、関口良雄氏も60歳を目前に亡くなっています。タイムリミットが飯田氏や関口氏と同じくらいだとしたらあと20年。はじめてから8年経過したので、まだ先のほうが長いものの、いまのペースで仕事を続けていたら、あっという間に20年たってしまうでしょう。さて私はいつまで続けられるやら…